西丹沢一粒農園稲刈り(Ⅱ)続

昨日は刈り取った稲を途中まではさ掛けにしたが、今日は早朝から頑張ってすべての刈り取った稲をはさ掛けにすることが出来た。稲束を結束するため右手の人差指と中指、左手の人差指は爪から肉が剥がれ出血して腫れ上がってしまい感覚が無くなっている。藁縄を編み続けるには指の腹にタコを作り皮膚がズル剥けないようする必要があり、稲束を結束し続けるには指と爪の剥離が無いようにしなければならない。

昔の農民の無骨な手と指は立派な農機具になっていたのだが、私のはとても軟で故障しがちな農機具に過ぎない。ゆっくり休みながらだましだまし使って行くしかない。

夜明け前の5:00に自宅を出発し、6:02に夜が明けた内山に到着する。昨日刈り取り地面に置いた稲藁には夜露がびっしょり降りている。刈り取ったまま地面に放置を続けることはできない。

6:10からはさ掛け作業を開始する。次第に夜が明けて朝日が上ってくる中でのはさ掛け作業はとても気持ちが良い。心の中に溜まった悪いものを洗い流してくれそうな田圃の夜明けだ。

7:00に朝食のしそ葉で巻いたおにぎりを食べる。食べながらも作業の手は休まない。何とか今日中にすべての稲をはさ掛けにしないと、明日は雨と風が強い荒れた天候になるのだ。私の見積もりでは昼食休みを30分取って17:00まで掛る計算でまったく余裕が無いのだ。

稲のはさ掛けは、野草の田ひえが混じってさえいなければ、とても単純な作業で稲藁で結束するだけなのである。ところがその結束がうまく行かない。水に濡れた稲藁を2本使って2回巻きし、終端を捩じってから巻いた輪の中に通せば良いのだが、巻きの締め上げが厳しいと輪の中に捩じった終端がなかなか通らず、出て来ない。右手の人差し指や中指を使って押し込み、左手の人差し指を使ってほじくり返すのだが、指先の肉が爪から剥がれて血が滲んでくる。

次第にコツが分かり、輪に通すときに少しだけ中指で稲束を押し下げ隙間を空けるとスムースに通るのが分かったのは、9:30頃であった。結束のコツが分かったのだが指先がジンジン痛むのは次第に増して行ったのである。

田ひえが混ざった稲は落ち穂拾いのように、稲の穂先の部分を持って振るい落とすが手間と時間がとても掛る。稲刈りの1週間ほど前に田ひえだけを刈り取って置けば、とても楽に稲刈りした稲束を結束できるのだが、そういう地道な作業をさぼっているので今日そのツケが回ってきて苦労しているのだ。

10:00前にKuさん、11:00にSoリーダーが現れる。皆さん自分の作業が忙しいのだ。12:00のチャイムでは3竿まではさ掛けが進んでいたので、車のエアコンを入れて余裕を持ってしっかりと十分な休憩を取る。

午後からFさん、YGLのSa代表、漁協のHa氏と次々に顔見知りの人達が顔を出す。SoリーダーとFさんがはさ掛け用の支柱を立て始め苦労している様子を見ながらも手伝う余裕がないのだ。申し訳ない。休憩を全く取らず作業の手を緩めることなく頑張り通し、16:00にすべての刈り取った稲をはさ掛けにすることができたのである。

稲刈りしながら、分けつした未生育の小さな稲がとても多かったと感じたのである。最後の踏ん張り時期に台風9号の増水により倒され土砂に埋まってしまったのが影響しているのだろうが、台風被害を乗り越えてよくこれだけの稲が収獲出来たものだと感心する。籾殻の中の米が充実しているかどうかは今はまだ分からないが、稲達は猛暑の中を懸命に生きて来たのだから、御苦労さまと褒めてやりたい。

写真1は西側から撮ったはさ掛けの風景である。横に通した竹竿の太さがあるのでどうしても上下には凸凹が現れてしまう。写真2はいつもの車を駐車させる坂道から眺めた風景である。刈り取りが済んで新しく増えたはさ掛けの稲が内山の田圃の風景にすっかり溶け込んでいる。

16:15内山を出発して、18:00に自宅に戻った。                                                                                                                                                                                                                                                                 

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